ウワノキカクのキカクメモ│論理的思考のトレーニング

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なぜ論理的思考に価値を感じるのか│論理的思考の魅力・限界・価値

「論理的思考は社会人としての必須スキルだ」というメッセージをよく耳にします。私自身、固くそのように思っていますが、一方で「では、論理的思考とは何ですか?」「なぜ論理的思考は必須スキルなのですか?」という問いに答えるのは簡単ではありません。
 
 
「論理的思考」というと、言葉の意味を説明するのは難しい。必要性もうまく言葉にできない。それなのに、みんなが口を揃えて「論理的思考は必要だ」という。これは一体何なのだろう。なぜ人は論理的思考に価値を感じるのでしょうか
 

 

なぜ人は論理的思考に価値を感じるのか

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人が論理的思考という言葉に、なんとなく高い価値を感じます。結論から言えば、その秘密は「思考」という言葉と、それを説明する「論理的」という言葉にある絶妙なバランスにあります。
 
 
「思考」とは何かというと、一言で言えば「自問自答すること」。問いを立て、それに対する答えを出すことが考えるということ。疑問が解消し、頭の中で問題が解決している状態を作るのが「思考」の役割です。
  
 
もちろん、「論理的思考は重要だ」と言っている大半の人にとってはここまではっきりとした言葉にはなっていないはず。多くの人にとって「考える」や「思考」とは、「答えが得られた心地よい状態になるために、ちょっと頑張って取り組む手段」という位置付けです。「考える」という言葉にひもづく言葉の印象には、「答えが得られる」という果実と「頑張らなければいけない」というコストの両方が感じられます。
  
 
その上で、「考える」や「思考」と「論理的思考」という言葉を比べてください。どちらの言葉に直感的な価値を感じますか? きっと後者だと思います。「論理的」という言葉がつくことによって、言葉の印象、直感的な価値がぐっと上がっている感じがしませんか?
 
  
「論理的」というのは、噛み砕いて言えば「一定のルールに沿って筋道が立っている」くらいの意味です。ある結論に対して、いきなりそれが降って湧き出すのではなく、筋道に沿って一歩ずつ進んだ確かなつながりの先に結論がある。現実と答えの世界に1つの橋がかかっているような感じがする言葉です。
 
 
このように捉えると「論理的思考」という言葉からは「確かな筋道に沿って進むことで、疑問が解消し、問題が解決する」という「コツコツ努力すれば必ず報われる」ストーリーが見え隠れします。筋道を見つけるルールさえ会得すれば、答えにそのままたどり着ける。論理的になれば、確かな筋道に沿っていつでも正しい答えが得られる。私たちは、そんなニュアンスをこの言葉から感じ取っているのです。


とかく人間は、手段病です。手段さえあれば望んだ結果が得られると思い込み、安易に手段ばかりを探します。しかし、どんな手段にも機能する前提条件があり、使いこなすための訓練が必要です。そのことを忘れて「論理的思考という手段さえあれば自分は答えを見つけて幸せになれる」と直感的に紐付けてしまう。これが「論理的思考という言葉に価値を感じる理由」です。

 

論理的思考だけではうまくいかない重要な2つの理由

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では、それは本当に正しいのでしょうか? 論理的思考さえあれば私たちは幸せになれるのでしょうか? 答えは残念ながらNoです。そこには大きく分けて2つの理由があります。


1つは、論理的思考というのは手段でありツールですから、それを実際に使う必要があります。しかし、考えるというのはものすごくエネルギーを使うことなので、この「論理的に考える」という手段を使える回数は、1日の中でも実はそれ程多くありません。人間は考えるよりも無意識で楽をしながら判断していることがほとんどです。人間は私たちが思っている以上に「考える」ということをやっていないのが現実です。優秀な人がズバズバと判断を下している時、そこに論理的思考を感じたりしますが、ほとんどが直感的な判断です。もちろん、「直感=非論理的」ではありませんし、直感は思考判断の積み重ねによって鍛えられるものであることを思えば、結果的に妥当であることも多いでしょう。このあたりについては直感やバイアスを科学的に解き明かした世界的な名著『ファスト&スロー』を読むことをオススメしておきます。
 

もう1つの理由はより本質的です。私たちが求めている解決策、いわば「問題の答え」ですが、純粋な論理的思考の結果としてひねり出すことは、多くの場合、出来ません。「いやいや、受験の問題やパズルの答えは論理的に考えたら導けるのでは?」と思いますか?それは正しい指摘です。完全情報のとき、つまり、全ての条件を満たすだけの情報が事前に与えられているとき、論理的思考は必ず答えを出すことができます。

 
しかし、私たちが本当に欲しいのは、この不確実な現実における解決策であり、正解です。情報は常に不完全。それどころか、刻々と変化する。そんな前提の時、論理的思考「だけ」で答えを出すことは論理的に不可能です。論理的思考は答えの方向性や大まかな条件は教えてくれますが、現実の問題を解く最後の一枚のパズルのピースは、論理的思考以外のところから生み出すほかありません。「どのあたりを深掘りすべきか?」は教えてくれますが、そこで得られた原石を綺麗なダイヤに仕上げるのは非論理的な働きによるものです。

 
論理的思考はものすごくエネルギーを消費する。そして、そもそもそれだけでは答えに辿り着かない。この2つの理由によって、論理的思考はその言葉の響きの魅力に比べると少し見劣りするもののようにも思えます。少なくとも「これさえあれば何とかなる」というものでないことは明らかです。

 

論理的思考がもたらす本質的な価値

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ここで話は一旦区切ろうと思いますが、最後に一言、それでも論理的思考には価値がある理由を添えておきます。論理的思考は答えそのものを生み出すことはできませんが、答えの条件は教えてくれます。つまり、その条件に当てはまっていないものは全て不要なものであると、バッサリ切り捨てることができます。

 
この「バッサリ切り捨てる」に非常に大きな価値があります。人は感覚的に好ましいものに、妥当な理由なく高い価値を置いてしまいます。いわゆるバイアスです。詳しくは『ファスト&スロー』を見ていただきたいですが、感覚的な判断は失敗の原因になることがあります。そして、論理的思考はこれを防いでくれます。


論理的に正しいものと、論理的に正しくはないが見慣れていて好ましく感じられるもの。2つの選択肢があった時、明らかに前者を選ぶべきです。そうすることで、誤った選択肢を選び、失敗し、やり直すという無駄な時間を大幅に節約できます。つまり、論理的思考は時間を創るのです。人間において本質的に最も価値があるのは時間です。時間は全ての人に等しく有限だからです。その時間の無駄を省いてくれる論理的思考には、非常に大きな価値があるのは間違いありません。

おわりに

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ということで、論理的思考の魅力、限界、価値について書き綴ってきました。論理的思考の理解が深まり、興味を持ってもらえたら嬉しいです。
 
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